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梱包w

12日午後7時40分ごろ、名古屋市北区志賀南通の雑居ビル8階にあるエステ店にナイフを持った男が押し入ったらしい。受付にいた女性店員(23)を「金を出せ。おまえの金も入れろ」と脅し、レジや女性の財布の現金計7万円を、持っていた黒いかばんに入れさせ、女性の手足を粘着テープで縛って逃走したという。

北署は強盗事件として調べている。店内にはほかに店員1人と客1人がいたが、いずれも無事。女性は自分でテープをほどいて通報した。男は30歳くらいで身長175~180センチ。中肉で黒っぽいニット帽とジャンパー、ズボン姿で茶色のサングラスをかけていたという。

所謂、緊縛強盗やね。ガムテープやけどな…「緊縛」の響きだけで、淫靡な妄想が頭に浮かぶ。押し入った先がエステ店というのも、なんだか、い、いやらしいなぁ。
死人が出てないから、好き放題書かせていただくが、やみげんだったら、お金より、縛った女性のほうに目がいってしまうわ。

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東京北区では、夫婦喧嘩の末、粘着テープで緊縛(?)された奥さんが死亡してるね。こちらは死人が出ているので、あまり突っ込んで書かないけど、夫婦間で、そういう趣味があった、というわけではないようだ。むしろ、縛りなれてないから起こった悲劇と言えるかもしれない。

さて、緊縛である。

やみげんなんかは、物心、下心、魚心に水心的なものを覚えてからこっち、「緊縛」という言葉に慣れ親しんでいるので、この漢字を見ただけで、ある特別な官能が沸き起こる。
このアブノーマル(とされる)性癖に、少年やみげんは、どれほど思い悩んだ事であろう。「緊縛」について、心理学、哲学的なアプローチで自分なりに研究したのも、「同級生と違った性癖を持つ自身」、を正当化する為に他ならない。
知れば知るほど、奥深いでー、縛りは。

でも、全く興味の無い人たちにとっては、「緊縛」は、文字通り、『縄等でしっかりと縛るという意。』(Wikipedia)という以外の意味を持たんのやろうなぁ…。

先日も、とあるところで。
「縛りは、荷造りみたいなもんやからなぁ…実際、縛らせてもらえばわかる…大変な作業やで」
と発言したところ。
「荷造りw」
「梱包w」
と笑われてしまった。
こちらとしては、そういう意図は無かったのだが。

以来、彼らの間では、「緊縛=梱包w」となっている様子である。

理解しあうって…難しい。

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[ 2012/03/15 23:15 ] SM | TB(0) | CM(-)

宿題メモ4「不信」

さて、先日の「どこからがSMプレイ?」での、海苔P氏とやり取り。
“S”と“M”との間の信頼関係について、の件。

海苔P氏 (信頼関係について)『確かに不可欠な部分だけど、それを表に出して欲しくないです。信頼関係が大切だと連呼する人ほど自分の事を隠して人の事を探る人が多かった。「どんなプレイが好きですか」の質問に「女の子に合わせる」て返答が多かったです。これて信頼関係を作りたい人のセリフて何時も思ってた。』

なにか、やみげん本人の事を責めらている気がした。
私もかつて同じような台詞を、付き合っていた女性に別れ際、言われたことがある。

彼女曰く 『あなた(やみげん)は、「人は信頼せんといかん」とよく言うけれど、そういう人は、ホントは人を信頼していない、しようともしない。私のように「人なんか信用できない」と言ってる人ほど、実は、人を信頼している、していたい、と思っている』

図星であった。
私自身は、海苔P氏の言葉の中に出てくる「自分の事を隠して人の事を探る人」ではなかった、と信じたいが、彼女の目に私は同じに映っていたかもしれないね。

この際、『“M”は“S”を信頼しているが、“S”は“M”を信頼していない。』、と考えても良い気がしてきた。
つまり、“S”は不安ゆえに加虐し、相手の信頼に安堵するのである。“M”が自身の責めにどれほど耐えられるか、加虐の度合いを強めるほどに、その信頼の強さが確認される。

フランスの作家、ロマン・ロランによれば、

『愛は信頼の行為である。
神が存在するかしないかはどうでもよい。
信ずるから信ずるのである。
愛するから愛するのである。
たいした理由はない』

ということのようである。異論は無い。
だとすれば“S”は、相手を(肉体的・精神的に)傷つける事でしか、愛を確かめられない、哀れな人たちなのかもしれない。

『愛は不信の行為である。
信じたいから傷つけるのである。
愛されたいから傷つけるのである。
深い理由がある。』(やみげん)

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[ 2012/02/17 15:13 ] SM | TB(0) | CM(-)

宿題メモ3「信頼」

さて、週明けからの「どこからがSMプレイ?」の続きである。
以下は、“M”を自認する海苔P氏とのやりとり。

海苔P氏 「同等立場がある中で強者と弱者いる訳です。弱者が強者に対して信頼する事で信頼関係が出来ると思うのです。 これが私にとっては人間関係にとっての概念です。これを基本にして考えました。」

やみげん 「強者は、弱者に対して信頼はあるのかな?強者は弱者に何をしてあげられる?」

海苔P氏 「強者は信頼では無いもの弱者に持ってます。愛しさとか大切にしたい気持ちとか守りたい気持ちです。強者は何も出来ないです。強いて云えば弱者が強者を信頼出来るような態度や言動を自然の中でするだけです。」

なるほど。
実は、やみげんなりに“S”から“M”への「信頼」を考えていた。

それは、「どれほどの加虐行為であっても、それを公にしない、外部に救助を求めない」という、信頼である。
随分、独りよがりの「信頼」だなぁ、と我ながら思う。自分で言っといて違和感もあるから、本質的な部分からは外れた「信頼」かもしれんね。
“M”のひとは、そういった独善性を受け入れるだけの、度量を持っているいうことか。頭が下がります。

そして。

海苔P氏 「強いて云えば、SMはSMプレイですと宣言して両者が納得して始めれば誰が何を言っても2人の間ではSMなのです。特にMが了承の上ですが、希に了承されずに事が進められる場合がありますが、Mの人選ミスです又は拒否出来ない己自身のM性を呪って諦めるしかないと思います。」

やっぱり、この辺りが正解に近いのかなぁ…この場合、相互のSMに対する共通理解が必須となるね。
プレイの前にSMについて、意見交換したりする作業も必要になるかもね。それだけでも、十分、深いコミュニケーションといえると思う。

SM…うん。ええのと違うかな。

女教師音花「淫ら縄」
画像は、女教師音花「淫ら縄」より。教室の作品は、相互理解に行き着く前で終わってしまってるね。ちゃんと描ききった作品を目指そう!
[ 2012/02/09 22:47 ] SM | TB(0) | CM(-)

宿題メモ2「DV」

さて、昨日からの「どこからがSMプレイ?」の続きである。

昨日は「S」と「M」の“合意”が大前提、と書いた。
2名もしくは、それ以上の間で行われる、具体的な「行為」、つまりプレイの内容については、また考えていくとして、今日は、「ドメスティック・バイオレンス」(DV)、について考えてみたいと思う。
DVについて、詳しいわけでないので、当事者や関係者の方が、「いや、それはない」と思われる箇所もあるかと思われるが、どうかお許し頂きたい。

「ドメスティック・バイオレンス」とは、同居関係にある配偶者や内縁関係の間で起こる家庭内暴力のことである。近年ではDVの概念は同居の有無を問わず、元夫婦や恋人など近親者間に起こる暴力全般を指す場合もある。
Wikipedia

中でも、特に注目したいのは以下の2項目。

■精神的虐待
恫喝したり日常的に罵る・無視する・無能役立たずと蔑む・他人の前で欠点をあげつらう・友人と会わせない・終始行動を監視する・出て行けと脅す・別れるなら死ぬと狂言自殺する・子供や身内を殺すなどと脅す・ペットを虐待してみせる。靴下、素足を近づけるなど。ストレスとなる行為を繰り返し行う。
■性的虐待
性交の強要・避妊をしない・特別な行為を強要する・異常な嫉妬をする、など一方的な行為で、近親間強姦とも呼べる。中絶賛成派は中絶をさせないこともこの中に含まれるとしている。

実は、これらのほとんどが、俗に言うSMプレイと見分けがつかなかったりする。
虐待側が、加虐行為の後に、優しいいたわりの言動行動を示すのも良く似ている。
おまけに、夫婦であれば“法律的”に、合意された関係の中でこれらの行為が行われ、また被虐待側が、その環境からなかなか逃れられない、逃げようとしているように見えないので、その区別を第3者がつけるのは難しいかもしれないね。

逆にその事を利用して、どの「監禁事件」だったかは忘れたが、わざわざ入籍した上で、女性を虐待陵辱する輩も居たくらいだ。
確か虐待男は、被虐待女に対して「おまえはMなのだ」と、洗脳を試みたような記述をどこかで見かけた。この場合、洗脳が成功し、「私はM女」と思い込むようになれば、“事件性”はたちまち薄れ、SMの領域に入ってくるわけだが、実際に洗脳に成功していたかどうかは、その後、彼が逮捕されている事実からも、不定的な結論にならざるを得ない。

虐待者が明確に「S」性を自覚している、上のような監禁事件は、ともかく。多くの暴力夫や暴力妻、暴力恋人に、どれほどの認識があるのかは、疑問である。簡単に言えば、SMのような精神的な遊戯にはまる人間は、直接暴力による恐怖支配で満足するはずがないのである。これは、上辺だけの従属にほかならない。

また同時に、被虐待側が、「M」との覚醒・自覚至る事も、ないのではないか、と推測する。暴力によって行き着くのは「悪いのは私に原因があるからだ」であり、「だから努力してこの苦痛から逃れよう」であろう。
決して、自らに与えられている苦痛が、双方の絆、信頼関係を計る一つのバロメータになっている、とは考えまいよ。

まぁ、いずれも、「私はSだから」「私はMだから」と自嘲的に、言うことはあるだろうけどさ。
やっぱ、ただの暴力行為やわね。暴力は遺憾よ。

(続く)

秘密の女教師・雪村美佐「暴虐の教室」
画像は、秘密の女教師・雪村美佐「暴虐の教室」より。平穏な学園生活を望みます。
[ 2012/02/07 23:57 ] SM | TB(0) | CM(-)

宿題メモ1「スカートめくり」

さて先程、ある方とのお話で、「どこからがSMプレイなのか?」とのご質問を頂いた。
残念ながら、やみげんは、明確な回答を用意できなかった。SM愛好家を自認する割には、その事は考えたことがなかったな。

そこで、一つのメモとして、桃色学級日誌内で考えてみたいと思う。運良く、なにかしらの結論が出た場合は、次回、その方にお逢いした時の回答としたい。
当然、記事は、未整理であるので、多少の、重複や迷走をお許しいただきたい。

自説では、SMプレイは、“S”、“M”双方が、その性癖を自覚していることが前提になる。
“S”だけに自覚があり、相手に“M”を強要するのは、SMとは言わない。単なるレイプである。
この部分は、おそらく動かす必要はないであろう。

紛らわしいことに、レイプは、加虐・支配・独占の願望において、“S”の少なくない部分を満足させる事が出来る。しかし、それを望まぬ相手にとっては、被虐意識というよりは、単なる暴力行為に過ぎない。

やみげんは、SMとレイプは別物と主張するわけだが、SM物語とされる作品に置いては、相手が“M”性を帯び、それを自覚し出すまでは、やはりレイプ物語とならざるを得ない。
したがって、世に出ているSM作品のほとんどにおいて、真にSM描写と呼べる場面となるのは、その終盤のみの場合が多いのである。
わかったような事を書いているが、これは弊会作品も例外でない。
なかなか、根気が続かず、相手の“M”描写が出る手前で終わっている作品は、「SMカテゴリ」出品であっても、「レイプ」作品に過ぎない。

うぬぅ。
これまで、SMの原点は「スカートめくり」と考えていたが、上の理屈からすると、改めてこれは間違いであったな。
少なくとも、まくられる女の子は本気で嫌がっていたろうから。
男の側の、一方的な“S”の萌芽に過ぎなかったということか。「スカート“めくられる”のが好き」な女子っていたのかしら?

(続く)

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画像は「破戒の蒼炎」(DL版)より。SMは奥深すぎて。
[ 2012/02/06 23:54 ] SM | TB(0) | CM(-)